この世に天才は存在するが、天才もまた人間に過ぎない。所詮は我々と同じ生物なのである。
私が大学で学んだ一番大切なことです。それを改めて確認させてくれる本でした。久しぶりに心がふるえる本に出会えました。藤原正彦の本はこれが初めてですが、何となく避けていた「国家の品格」も読んでみることにします。
ニュートン、関孝和、ガロワ、ハミルトン、コワレフスカヤ、ラマヌジャン、チューリング、ワイル、ワイルズという古今東西の天才数学者9人の人生をたどり、彼らの人生が苦悶と挫折の溢れるものだったことを描き出します。
多くの天才数学者に共通して見られるエピソードが、若い頃に理解者を得られずに苦しみ、良き理解者との出会いを契機に歴史的な発見への階段を昇り始めるというものでした。
私は高校時代の友人のことを重ねずにはいられませんでした。彼は高校二年生の時に数学オリンピックの日本代表合宿に参加するという数学的才能の持ち主でした。結局、日本代表にはなれず、この本に描かれているような天才とは比べるべくもありませんが、一般人からすると次元の違う能力です。結局、日本有数の大学の数学科に進みました。
彼は決して友人が多い方ではなく、そんな中で私とはとても仲が良かったのでした。当時から好奇心のかたまりだった私は、宇宙のことや時間のことを延々と語り合う彼との会話がとても楽しかったことを覚えています。彼からオススメされたラヴクラフトは、いまいち私の肌に合いませんでしたが。
彼は肉体的には強く無かったし、人付き合いが得意では無かったので、しばしばからかいの標的にされていたのですが、いじめに発展するようなことは私が許しませんでした。私は当時から精神的に猛烈なマッチョだったので、それが可能でした。
私は彼とは違う土地の大学に進学したのですが、就職して転勤族になって最初の勤務地が彼の大学の近くでした。大学時代は連絡が途絶えていたのですが、彼が大学で所属しているサークルのサイトからメアドを探しだし、久しぶりに連絡をとりました。彼は大学院を卒業する年で、さっそく会おうということになりました。
学生街のスターバックスで6年ぶりに会った彼はほとんど変わっていませんでした。DebianというOSのプロジェクトに夢中になっている彼が名刺代わりに私に手渡したのは、メールアドレスやハンドルネームの他、住所ではなく緯度と経度が書かれた紙でした。世界中に仲間が散らばっている彼らのプロジェクトにおいては、それが流儀なのだそうです。何でも座標で認識するあたりがコンピューターエンジニアらしいなぁと感心したものでした。
彼が語る近況は芳しいものではありませんでした。彼は研究者の道を進みたかったのだけれど、大学院に進学する試験の時点でその道は閉ざされているのだそうです。院試の点数によってAコースとBコースに厳然と分けられて、Aコースの人にしか研究者への道は開かれていないのだそうです。Bコースになってしまった彼は、院試に臨む際の情報収集力において後れをとってしまったことを悔やんでいるように見えました。決して数学的な才能が基準を満たしていないわけではないと思っているように見えました。
大学院を卒業した後の進路について聞いてみたところ、とてもじゃないが自分がまともに会社勤めを出来るとも思えないので、とりあえず地元で親の遺産で食いつなぐとのことでした。彼は天涯孤独になっていたのでした。
それからしばらくは特に連絡を取り合うこともなかったのですが、私が高知に転勤してきてすぐの頃に彼からメールが届きました。
「部屋を借りるのに保証人になってくれないだろうか?まともに会社勤めをしていて保証能力のある友人が君しかいないのです。」
私はずいぶん悩んで断ることにしました。我がお人好し一族は保証人で地雷を踏んで大変な目にあってきており、「保証人にはなるべからず」が唯一の家訓となっているのです。賃貸物件の保証なんて大したリスクではないので、私が独身だったら引き受けていたのですが、家族を背負った身となればそうもいきません。
そのむねをメールで書いて送り、彼との関係はそれっきりです。
「天才の栄光と挫折」に描かれた天才数学者達も、私の友人と変わらないようなことで悩んでいました。住む家に困ったりしていました。人付き合いがうまく出来ないことに心を痛めていました。その様子が生き生きと描かれていて、だからこそ、奇跡のような数学の業績を生み出すために、彼らがどれだけ苦悶したのかがよく分かりました。天才が魔法を使って生み出したのではないのです。天才が血を吐くような思いをして、さらに幸運に恵まれて、さらには先人達の積み重ねがあってはじめて、偉大な業績が生まれたのです。
天才も所詮は同じ人間です。彼らにすべてを委ねればうまくいくはずというのは、とんでもない現実逃避なのです。そもそも天才は本当にめったにいませんし。だから、みんな自分の頭で一生懸命考えて、自分に出来ることを一生懸命やっていかないと、世の中は良くならないのです。どこかからやってきて全部どうにかしてくれるスーパーヒーローなんてどこにもいないのだと、改めて確信したのでした。
地元の公立小学校で神童扱いされていた私に
「お前は井の中の蛙だ!世の中には凄まじい天才で何でもできる人がいるものだ。」
と親が言うので、圧倒的なスーパーヒーローがどこかにいるはずだと、町有数の進学塾、県有数の進学校、日本有数の大学と昇っていって探してみましたが、そんなスーパーヒーローはやっぱりどこにもいませんでした。きっと世界クラスになったところで、事情は大して変わらないだろうと思っていたのですが、やっぱりそうだとこの本が教えてくれたのでした。
文庫版が出てお手軽になったこともあって、心からオススメしたい本です。
天才の儚さという本筋とは離れますが、すごく興味深かった一節を引用させて下さい。和算の大家・関孝和の章で、西洋の数学に比べた和算の弱点を述べる部分です。
現実からの抽象化が不十分で定義があいまいだった。例えば円を扱ってはいても、円や接線の定義はなされず、悟ることが要求されていた。このため、厳密の精神が育たなかったのである。
「悟る」という言葉の意味をこれほど気持ちよく納得できた文章は初めてです。
「それは接線ではない!まだまだ修行が足りない!」
「そ、そうか!この二点をギリギリまで近づけて…見えたぁぁぁ!師匠!分かりました!接線のなんたるかが分かりました!」
なんてことがあったワケですね。いや、ないとは思いますが、似たようなことが。他の分野における「悟り」もこの感覚から類推していくと、すごく理解が深まる気がしました。
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